Vajdaszentiványでのこと(引越し記事:1999/9/16)
2001年 01月 03日
この村のホスピタリティー(おもてなし?)は、ほぼ完璧だった。すべてが十分に準備され、かつ、また彼ら自身も、踊りに興じているようだった。「とても、よかった、感動した」と、ほとんどの人は満足して帰ったと思う。ただ、ひとつ残念なことは、私自身は十分にその場を楽しめなかった事である。
Timár氏から、村長が「日本との親善を深めたい」と言っているので話をして欲しいと言われ、会場である公民館の裏庭に行く。そこには、蛍光色っぽい黄色の派手なシャツを着た村長以下数人がいて、とりあえずはパーリンカで乾杯。さーて、これから「親善」が始まるのか、と思いきや何か雰囲気が違う。要は、「この村にも、アメリカ人やらオーストラリア人やら、多くの人が踊りを見て、習いに来る。村としてもキャンプを自分で開いたりしているが、なかなか儲からない。何かいい知恵は無いか。」
というものだ。
あげくのはてに、
「日本の戦後の復興はすばらしい、それを学びたいんだ」
ときた。気持ちはわかるが苦笑いするしかなかった。
こっちは、その悩みは理解するが、とにかく話が長く要領を得ないのだ。おまけにその長い話をマジャール語と英語の通訳で2回聞かねばならない。そのうち、ホールでは音楽が再び流れ始め、楽しそうな歌と歓声が聞こえる。そして、だんだん、英語への通訳もなくなってゆき、村長さんと通訳役のアメリカ人が専ら会話しているだけになる。こちらは???の時間が流れる。
「この間にも、私の貴重な時間は削られているんだ。」
一応、質問に対して、こちらとしては、
1.トランシルバニアやこの村来てみたいという日本人はたくさんいる(誇張含む)
2.彼らをここに来させるのは、とにかく、交通手段の確保(主要都市との連絡など)が必須条件である
と思いつきで答えた。
とまあ、こんな事があったのですが、実際、フォークロアに関心を持つ裕福な外国人旅行者と、現地の金銭的に貧しい村人という状況は、簡単に割り切れない部分があります。それを解決する簡単なツールとして、外国人はお金を使い、そして現地の人もそれを意識し、今は、自ら求めるようになっている状況なのでしょう。それは、まさしく観光化であり、勿論、それは一つの止められない流れでしょう。
一方でこの場合は、観光化するほどの需要があるのかという疑問と、観光化することにより観光資源(踊りと音楽)が乏しくなるという懸念があり、あまり成功するとは思えません。私としては、踊りや音楽でお金を稼げるというのは勘違いである、と、はっきり答えるべきだったかもしれません。しかし、デジタルビデオやDATを抱え、撮りまくっている自分を考えると、とても言えませんでした。■